今回書くコラムがSOLS運営メンバーとして本当に最後のコラムになります。コラムを書くのはこれでちょうど10回目です。大学4年生の宮崎です。
私のコラムは運営メンバーから定評がありますが、私は高校3年生当時センター試験国語で200点中85点しか取れなかった過去があることをここで曝露しておきましょう。とても恥ずかしいものです。いや、本当に恥ずかしい。
さて、最後に書くコラムは読み手のあなたにどんなことを伝えられるのでしょう、何も伝えることができないかもしれません。しかし、私はこの方法でしか皆さんに「感謝」を伝えられないでしょう。私は言葉を信じています。非常に長い文章ですが、読んでいただければとっても嬉しいです。飛び跳ねて喜ばせていただきます。
SOLSへ入会する前の私
私は医学部医学科への進学を志し、中学受験をして、中学・高等学校で勉学に励んできました。しかし、全く手は届かず、浪人生活に突入。2年間の浪人生活は、私の人生における暗闇と形容できるほど、過酷なものでした。学力を上げるには短い、モチベーションを維持するには長い、そんな期間を過ごしました。勉強に身が入らないことも多々ありました。浪人生活はそんな簡単なものではないことはそれを経験しなければわかりません。慢性的にストレスを受けた私はついに精神に身体が追い付かない状況に陥り、予備校の授業も受けられないほどになってしまい、「自律神経失調症」になりました。その後通院をしながら勉強にも取り組みましたが、これが私の今の限界なのだと理解し、医学部医学科への挑戦を諦め、進路変更を検討し、臨床検査技師を目指すための養成校に入学したという経緯があります。
その浪人生活で患った症状は、大学入学後約2年ほど続いたような気がします。大学入学後1か月で体重が5kgほど減少し、その後半年かけて5kg以上落ちました。食事もしっかりとれることが多くなく、体調が良い時と悪い時の波が本当に激しかったものです。親からは「体調に気を付けて生活しなさい」、そんなアドバイスを何度も受けました。現在は自分自身でコントロールすること、そしてSOLSを中心として良好な人間関係に恵まれたことで体調の心配はあまりありません。
勉学に関しても、大学入学後最初の1年は力を入れることができませんでした。自分なりの努力を継続しながらも、高校までの勉強方法ではうまくいかないことや、大学の1期生として情報が少なかったこと、コロナ禍で通学できなかったことなど、さまざまな要因があったように感じます。
SOLSを知ったきっかけと入会した経緯
私がSOLSを知ったのは2年半前、日臨技北日本支部医学検査学会の学生フォーラムに、所属養成校の代表者として選出されたことがきっかけでした。そこで学会ホームページを見たことがSOLSとの出会いです。当時の私にはどうも大学になじめない感覚がありました。1年生の時には再試験を経験しましたが、「クラス長として期待されたのか、潰れていったよね笑」と直接言われたことは今でも鮮明に覚えています。このように私の能力や成績を馬鹿にしてくる人がいたり、結果に関わらず前向きに学ぶこととは程遠いような雰囲気が蔓延しているような気がして、それが息苦しかったのをとてもよく覚えています。「○○って長期記憶苦手なんだね笑笑」「なんでそんな真面目にやんの?笑」そういう言葉は私の倫理とは反していて、とても辛かったのです。そんな時に大学とは別のコミュニティへ自ら飛び込んだその選択は正解だったと思いますし、正解にするための努力を怠らずに続けてきた自負があります。
SOLSでの活動 ~組織での役割編~
SOLSに入会した際、部署へ配属される決まりがあります。当時私はあえて大変な道を選びたかったので、当時のマネジメント部(現在の共同代表の役割)を選択しました。入会して数か月が経ち、さっそく定例会の資料作成や司会進行などに挑戦しました。先輩方からさまざまなことを学びながらも、自信を持ちながらSOLSを前進することができたと思います。
その後共同代表に指名され、約1年間その役割を全うしました。大きく取り組んだこととしては、団体の維持が困難になりかけたSOLSを立て直すこと、SOLSの全体像を明確にするために資料を整理整頓したり、今後に必要な新たな資料を作成するなどでした。そして定例会の司会も継続し、同時に学会や外部プロジェクトの連携なども行いました。立ち上げメンバーである大井さんが卒業されるときに「安心して任せられます!」と言ってくださったことは今もよく覚えています。しかし、うまくいくことばかりではなかった、とにかくメンバー全体のモチベーションを維持させることや、組織をまとめていくことに非常に苦戦し、何度も心が折れかけて退会することを考えました。時には心無い言葉もかけられることもあり、本当に辛い経験をしてきました。
共同代表としての限界を感じた私は3月に代表を降りることを決意し、代表が変わることで変化を起こすSOLSに期待を寄せて、サポートに徹することに決めました。代表を降りるときの感想は「何もできなかった」でした。この感覚が強かったからこそ、代表を降りてから勉強を犠牲にしながらも、SOLSにものすごい時間と労力をかけてきました。そんな様子はきっと見ている人にはよく分かったことだと思います。
そのモチベーションややる気はどこから来るの?と聞かれたことがありますが、これは私にとってごく自然に発生しているものでした。自分自身をよく精査して分かったことは、この場で成長してきた自覚から芽生える「使命感」であり、その根源はきっと「感謝」なのだという印象があります。この場を作り上げた先輩方、そしてそれを一緒に紡いでくれた同期、そしてこれからも続いていくように努力してくれる後輩たち。その姿を見た私に生ずる「感謝」は私の中で「使命感」となって、モチベーションとは無関係な原動力となっていたことは紛れもない事実でした。
組織を運営するにあたって、組織論または経営論を学ばないのはありえないと思っていたので、趣味で読んでいた『学習する組織』や『U理論』、『なぜ人と組織は変われないのか』、『インテグラル理論』などさまざまな考え方に触れ、SOLSに還元できるものはないのかを検討しました。それをどのレベルまで用いるのかを検討することが困難でした。私たちは任意団体であり、活動することによって得られる報酬もありません。その中でどれだけの規律を持たせるのかが非常に難しかった問題でした。ただ、この考え方を知ってもらいたかったので、8月には臨地実習期間ながらも40枚を超えるスライドを作成して、組織論および経営論の一部を紹介しました。
組織の一員という意味でSOLSで学んだことは、本当に多くあります。
他人の状況をできる範囲で感じ取り、把握すること
自分の常識を他者に安易にあてはめないこと
他者の意見を傾聴すること
他者の発言や行動を観察し、評価し、言葉をかけること
自分の意見には誤謬が含まれる可能性を否定しないこと
他者を尊重して、寛容さを忘れないようにすること
発言や行動の背景をよく知る努力をし、活動における問題を対処すること
小さな変化を見逃さずに成長のためのきっかけにすること
オンラインで活動しているからこその声掛けや、直接会うことを大切にすること
ここでしか得られないものが確かに存在していたと思います。それはその人によって異なると思います。その答え合わせは皆さんが活動を終えるときにできることです。
SOLSでの活動 ~検査の勉強編~
さて、私が検査の勉学を頑張っていることについてもここで触れてみましょう。私は大学2年生の冬に祖母を亡くしました。これは私にとっては大きな出来事で、当時22歳の私にとって近親者の死、つまりは2人称の死(厳密には違うかもしれませんが)を経験したことが本当に大きな経験となりました。今でもよく思い出します。祖母は亡くなる1年ほど前に胆管癌を患って、その際に臨床検査技師としてどのように関わっていくのかを学ぶきっかけとなり、勉強に打ち込み始めました。そこで初めて臨床検査技師がどのように医療へ関わるのかを想像することができた気がします。それまでは本当に何もわかりませんでした。祖母の毎回の検査データは私に送信され、勉強のための材料そしてモチベーションとしていました。祖母を亡くして「死」についてよく思考しました。医療の目的はその時代や社会の変化に伴って変化していくものですが、特に「死」と隣り合わせとなることも多いと感じます。
SOLSで勉強の話をすることも多々ありました。勉強という面では私は他人より劣っている自覚が強かったのですが、コアにしている部分は常に揺るがなかったので、それを頼りにするだけでした。もちろん、他のメンバーは私より能力的に優れていると感じることが多く、そのたびに劣等感を抱くこともありましたが、正直大学では大きな劣等感をモチベーションにすることも無くなっていたので、皆さんの様子や先輩方の言葉が私の学習を後押しする感覚がありました。そして私はテストのための勉強が大嫌いでした。もちろんテストでよい点数を取ることは目標のひとつではあったものの、目的意識が低いとその点数だけで他者を評価したり、自分の成績を悪用して他者を陥れようとしたりするということがよくわかっていたので、他人の点数や評価などはできる限り聞かないようにし、自分が知識を身に付けていく、そして自分が成長するもしくは自分を成長させるという視点を大切にしました。
その視点を大切にしていたからこそ、GPAはそこまで高くないものの、実力が反映される模擬試験となっては学内で1~3位を取り続けているのが現状です。これは単なる副産物でありながらも、自分の学習が決して間違いではないという自信を持たせてくれるものです。
SOLSでは検査の勉強に関する企画会も複数回実施し発表をしました。私は計算問題を完璧にしたい思いがあったので、2年生のうちから計算問題を徹底的に分析するようになって、それも先日企画会として実施し、非常に高評価をいただけました(とは言っても国家試験では年5問程度しか出ませんが)。自分が身に付けてきた知識や能力も皆さんへシェアできたことも、自分の中の成果だと感じています。
この勉強は決して国試合格が目的なのではなく、今後臨床検査技師として働くにあたって最低限必要な知識であり、それが実社会で働くにあたって重要なことである、そしてそれが自分のためになるだけではなく、他者のためになるものだと思います。自分自身が持つ好奇心のままに、使命感を得ながら勉強し続け、それが他者のためにもなるのならそれは幸せなことだと思います。その幸せを実感しながら私も今勉強し続けています。
SOLSでの活動 ~100人カイギの登壇編~
SOLSは「臨床検査技師100人カイギ」(現臨床検査かけるワクワクプロジェクト)から生まれた団体です。私は第13回臨床検査技師100人カイギにて登壇しました。話した内容は、今までどんな経験をしてきたのか、臨床検査技師を目指した経緯や、自分の成長のために「自己マスタリー」という考え方は非常に有効だ、ということを話しました。逆にそれくらいしか話せないほど、経験が浅かったのです。しかし、参加者の皆様からは称賛の声を多くいただき、当時大学2年生ながらも、周りの皆様へ何かしらの影響を持つことができた気がしました。これもまたSOLSでの活動を皆さんに知ってもらう良い機会になりましたし、プレゼン能力を磨く良いきっかけになったのだと理解しています。
SOLSでの活動 ~学会編~
そしてSOLSでは学会への参加を通して学生ながら自身の幅を広げていく経験をすることができました。22年の北日本支部では養成校代表としてでしたが、同時にSOLSの一員でしたから、その気持ちも持って参加しました。普段は画面越しでしか顔を合わせないメンバーと直接会う経験は貴重であり、その場限りの唯一性のようなものを得ました。そしてその非日常はまた私を成長させるものなのだと学ぶことができました。「その時にしか会うことのできないメンバーとその場所でその時間だけを共有する。その非日常は、突如期限を迎えて終了する。そして日常を何か憂鬱な感情で迎えるまでがセットである」そんなことを当時の感想として残している。
この学会での発表経験が、今私が何かを発信するにあたっての自信となっている印象があります。自分の意見を他者への同調なしに発信することは一定の自信や勇気が必要です。それをここで学ぶことができました。
そして、先日11月2,3日に実施された第62回日臨技中部圏支部医学検査学会の感想を以下に記します。
昨年の中部圏支部においては企画メンバーでありながらも、唯一現地で参加することができず、本当に悔しい思いをしました。同時期に東京都医学検査学会の学生企画もSOLSが担当していたこともあり、運営メンバーの皆が学会への参加をしている中、自分だけ取り残されている感覚を得たのをよく覚えています。同じ場で同じ時間を共有することの大切さ、そしてライブの性質はその場でしか得られない特別なものです。皆の様子は僕自身の一種の嫉妬心でもありました。これが物理的な距離による弊害なのだと強く実感しました。
しかし、今年は違いました。学生フォーラムを担当してくださった先生方から許可を頂き、現地参加することが叶いました。そして、共に長く活動をしてきた桑島さんや村上さんとの再会を果たせたこと、そして積極的な行動で今後のSOLSを引き継いでくださる後輩たちの様子をこの眼で見ることができたこと。学生フォーラムの参加を誘ってくださったとき、4年生として集大成を飾ろう、そう決意したものでした。
僕が行ったこととしては、まず抄録作成。抄録の多くは僕が選んだ言葉や表現で決定しました。壮大なテーマでありながらも、今後の臨床検査技師が考えるべき内容を提示することができたと思います。また毎回の会議において意見出しをすることや、資料を見やすくするために書記の役割を徹底しました。その他の役割は後輩の皆が精いっぱいやってくれて、その様子は本当に嬉しく感動的でした。
当日はメンバーとの再会がとにかく嬉しかったです。そしてこれが最後の活動なのだと自分に言い聞かせて、2日間の企画を実行することになりました。2日間の企画は本当に一瞬にして過ぎ去りました。正直私には「達成感」と言えるものがあまりなかったかもしれません。学会準備の多くを後輩たちに任せていたことも起因しているでしょう。しかし、SOLSを卒業するにあたって後輩たちが花束とお菓子のプレゼントをしてくれた時は非常に嬉しく達成感を少し得ることができました。ここまでやってきたひとつの結果なのかなと感じています。
SOLSでの活動 ~その他~
私はこの場でさまざまな能力を身に付けることができました。その結果の1つに就職試験の合格があります。私は大学病院を受験しましたが、倍率も10倍を超えるやや難度の高い戦いだったかと思います。もちろん不安もありましたが、ここまで変化と成長を遂げてきた私にチャンスがなかったら、それは本当に運がなかっただけと言えるほど、日々の生活に注意深く生きてきた自信がありました。筆記試験を受ける際は共にSOLSで活動してきた仲間への感謝を想起して臨んだことを今でも鮮明に記憶しています。
就職試験はどこか「落ちないために何か偽りの自分を作る」みたいなところがある気がしますが、採用側も「こんな学生を取りたい」と思えば、こちらに興味を持ってくれます。私は就職試験に向けて特別やったことはありません。ありのままでも十分に戦える自信をこの3年間で積み上げてきました。私は中学受験で2回、大学受験で2回落ちた経験があり、この合格が初めて自分自身で強く願い勝ち取った結果だと思いました。
一緒に活動してきた先輩・仲間への感謝とこれから
私がSOLSに入会したときはもちろん後輩という立場で、立ち上げメンバーの先輩方とともに活動してきました。当時は彼らの能力や行動力をよく理解していなかったと思います。そしてそれを理解できるだけの能力が私にはありませんでした。しかし、先輩が卒業されていき、自分がSOLSの中心に立ち、葛藤を抱えながらも自分を成長させる、他者の成長を支援する、そんな心がけも空しく、結局何も成し遂げることができなかった。そんな感覚は同時に先輩方への偉大さを知るきっかけでもありました。この繋がりをこれからも紡いでいくようにせよ、そう自分自身から学んだ気がしたのです。それが先輩方に対する礼儀であり、私自身の使命だと感じました。
このような感情を抱くきっかけは先輩の皆さん、そして活動を支えてくれた同期の仲間のおかげです。この場を借りて、感謝申し上げます。ありがとう。
ここで、バトンを繋ごう
先日立ち上げメンバーの大井さんからこんなメッセージが届きました。
「今まで続けてくれてありがとう。宮崎さんがいなかったらSOLSはもうすでに消滅してしまっていたと思います」
正直、私がそんなことをやってこれたのか全く分からないけれど、立ち上げてくださった先輩がそうおっしゃるのだから、そうなのかもしれない。そうやって自分を少しだけ許すことにしました。彼もきっと今頃私の努力を見ていてくださっているのかもしれない。
私はこの場でさまざまな経験を通して、人間としての成長を遂げることができたという自負があります。大学生活の半分以上の時間をSOLSとともに経験してきました。この選択に後悔は一切ありません。組織に所属し、さまざまな対立や葛藤、不安や劣等感、焦燥感などを経験してきました。そんな私ももう4年生です。学生としてSOLSでできることはもうないのです。
あれだけ辛かった浪人生活、そして大学に入学しても何となく晴れない気持ち...何の彩もなかった私の生活だったが、SOLSでの活動が生活の一部となって、あの時とは対称的に明るい日差しとなっていた。本当に何もできなかった私が、少しではあったけれど変化できた、成長できた、仲間を作ることができた。ほら、これ以上に望むものはないだろう。そして私は、次のステージへと歩んでいくのである。
これから私との関係が希薄になる人もいれば、今まで通り関係が続く人もいます。人間関係は静的でもなければ固定的なものでもありません、常に変化し続けていくものです。こうやって皆さんと出会ったのも変化であり、私がこの場を去ることもまた変化です。ただ、こうやって出会ったからには、そのご縁は大切にしたいものです。また連絡をくださいね。
そして、私がこのSOLSという場からいなくなっても、あなたたちはやっていけるのです。私がいなくても困ることはありません、絶対に大丈夫です。
ここで私たちから「あなたたち」へSOLSのバトンを渡します。
最後に私の大好きな名言を紹介します。
世界には君にしか歩むことのできない唯一の道がある
その道がどこに辿りつくのか、と問うてはならない
ひたすら進め
フリードリヒ・ニーチェ
この出会いに感謝、またどこかで会いましょう。
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